浅草

旧五重塔跡

旧五重塔跡

江戸四塔(えどしとう)(浅草寺・寛永寺・増上寺・天王寺)と言われていた五重塔跡。現在、五重塔は、境内の西側に建立されているが、かつてはその反対側に位置していた。現在は、「旧五重塔跡(きゅうごじゅうのとうあと)」と記された石碑が跡地に建っている。浅草寺の五重塔は、天慶(てんぎょう)5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)による創建以後、いく度か炎上するもその都度再建されている。昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により惜しくも焼失した国宝旧五重塔(高さ33メートル)は、江戸時代の慶安(けいあん)元年(1648)、第三代将軍徳川家光により建立され、かつては歌川広重(うたがわひろしげ)・歌川国芳(くによし)などの浮世絵の格好の画題としても全国に知られていた。

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石橋

石橋

元和(げんな)4年(1618年)に、浅草寺の境内に造営された東照宮の神橋として、徳川家康の娘振姫(むすめふりひめ)の婿浅野長晟(むこあさのながあきら)により寄進されたもの。現存する都内最古の石橋(重要美術品)。全長3.3m幅2.2mの小松石造り。

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六角堂

六角堂

元和(げんな)4年(1618年)に建立。室町時代の建造物というのは大変珍しく、都内23区の中でも現存する唯一のもの。浅草寺内で最古の建築物。(都内最古の木造建造物、東京都指定文化財)本尊は日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)で、日数を決めて祈るとその願いが叶うとされる。木造の単層六角造り瓦葺き形式で、基礎は六角形状に廻した土台を布石の基礎で支え、下部には十一段の石積みをした井戸状の穴が掘られている。戦災、震災にもあっていないという非常に貴重な建造物。

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五重塔

五重塔

浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶(てんぎょう)5年(942)武蔵守(むさしのかみ)、平公雅(たいらのきんまさ)により建てられたと伝えられるが、長久(ちょうきゅう)2年(1041)火災によって倒壊し、寛永(かんえい)12年(1635)再建、同19年炎上したという記録が残っている。その後、慶安(けいあん)元年(1648)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔(えどしとう)」として親しまれ後の明治44年には国宝指定を受けていたが、惜しくも昭和20年3月14日戦災により焼失。昭和48年11月1日に鉄骨鉄筋コンクリート造りで回廊式"塔院"(かいろうしきとういん)の上に五重塔を建てる「塔院造り(とういんづくり)」の方法で再建され、回廊式の塔院には霊牌殿(れいはいでん)があり百体の聖観音像(しょうかんのんぞう)と信徒の方々が納めた1万2千基の永代供養の位牌が安置されている。昭和20年戦災による焼失までは観音本堂に向かって右側に位置していた。現在の五重塔は、本堂に向かって左側に建造され、地上53.32m(塔のみ48.3m)を誇る高さは京都東寺(きょうととうじ)に次ぐ高さ。

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浅草演芸ホール

浅草演芸ホール

昭和39年(1964年)当時、寄席がなかった浅草にあった「東洋劇場」に4階と5階を増築して誕生。鈴本演芸場(すずもとえんげいじょう)(上野)、新宿末廣亭(しんじゅくすえひろてい)、池袋演芸場とならぶ、都内に4軒ある「落語定席(らくごじょうせき)」のひとつ。「落語定席(らくごじょうせき)」とは、1年365日、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで「寄席(よせ)」とも呼ぶ。昭和39年(1964年)のオープン以来、10日替わりで落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っている。いまでは伝説の名人とも言われる、桂文楽(かつらぶんらく)、古今亭志ん生(ここんていしんしょう)、三遊亭円生(さんゆうていえんしょう)が現役で高座に出て、古今亭志ん朝(ここんていしんちょう)、立川談志、三遊亭円楽がまだ若手だった当時から賑わっていた。 また、ホール4Fの浅草東洋館の前身は浅草フランス座で、渥美清(あつみきよし)、長門勇(ながといさむ)、由利徹(ゆりとおる)、東八郎(ひがしはちろう)や萩本欽一(はぎもときんいち)やビートたけしなど多くの役者やコメディアンを生み出したことで有名。2000年元旦に、「浅草東洋館」として生まれ変わったあとは都内で唯一のいろもの寄席として、漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど、落語以外の演芸をおこなっている。

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木村家本店

木村家本店

明治元年(1868年)創業。浅草で最も古い人形焼店。 初代が浅草の名所にちなんで考案したのが、五重の塔(ごじゅうのとう)・雷様(かみなりさま)・提灯(ちょうちん)・鳩(はと)四つの型。創業以来、守り続けた上品な味と愛らしい形は、久保田万太郎(くぼたまんたろう)が紹介したほど。

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アンヂェラス

アンヂェラス

昭和21年(1946年)創業。ダッチコーヒー発祥の喫茶店。アンヂェラスとは「聖なる鐘の音」という意味。名物は、店の名をつけた小さなロールケーキ。ダッチコーヒーに自家製の梅酒を注いで飲む「梅ダッチコーヒー」も、見た目も楽しいオススメの一品。3階建ての建物は、欧州の山小屋をイメージしたもので、温かみある落ち着いた雰囲気。川端康成(かわばたやすなり)や、永井荷風(ながいかふう)、手塚治虫(てづかおさむ)等多くの文化人が集ってきた、伝統と遊び心のある喫茶店。

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やげん堀

やげん堀

寛永(かんえい)二年(1625年)創業、七味唐辛子の専門店。 研究を重ねてたどり着いた絶妙なバランスで、唐辛子、焼唐辛子、けしの実、麻の実、粉山椒(こなさんしょう)、黒ごま、陳皮(ちんぴ)を配合した七味唐辛子を取り扱う。ピリっとした辛さと独特の香りで、江戸を代表する名物として今も人気!好みの香りや辛さに調合してくれるのが魅力。

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駒形どぜう

駒形どぜう

徳川11代将軍、家斉公(いえなりこう)の時代、享和(きょうわ)元年(1801年)創業。 本来「どぢやう」と表記すべきところを、四文字では縁起が悪いと、初代越後屋助七(えちごすけしち)が、当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉(しゅもくやせんきち)」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらった暖簾(のれん)。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。長年、江戸っ子たちに愛される「どぜうなべ」は、一度は食しておきたい味わい。創業から、ずっと調理法も変わらない。生きたどじょうにお酒を飲ませ、臭みをとる。甘味噌仕立ての味噌汁の中に酔ったどじょうを入れ、ぐつぐつと煮込む。食べごろになったら、たっぷりとネギをのせ、お店自慢の七色とうがらしや山椒をかけて食す。そのやわらかさと旨みに、感動する一品。暖簾(のれん)をくぐると目の前にひろがる「入れ込み席」は、江戸の風情がそのままに残った空間。

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ヨシカミ

ヨシカミ

昭和26年(1951年)12月末創業。 大正から昭和にかけて、日本一の娯楽の中心地として繁栄をきわめた東京浅草の中心、六区興行街(ろっくこうぎょうがい)の一つの裏通りに、客席数わずか10席のオープンカウンター式の店として誕生した「ヨシカミ」。 「うますぎて申訳けないス!」のキャッチコピーでも有名な浅草の洋食店。オードブルからステーキ、サンドイッチまで様々な洋食メニューがあるが、『ハヤシライス』、『オムライス』、『ビーフシチュー』が人気。お土産には、『カツサンド』がオススメ。

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